真面目な日本人の市場価値

2022年11月21日 Vol.956

つばめ学院は埼玉県和光市にある「生徒を元気にする塾」です。

塾長の関口です。

ちょっとショックなニュース

先日、テレビのニュース番組でなかなか衝撃的なニュースを目にしました。

中国企業”日本人材”ナゼ狙う?

かいつまんで内容を書くと、このところ中国企業の工場が日本国内に進出する例が出てきているそうです。

中国内では人件費が高騰しており、かつてのように安価な労働力が確保できなくなっている。

このまま中国での人件費が高騰すれば、円安の進む日本との賃金格差がなるなるであろうと予測する中国企業は先手を打って日本国内に工場を作っているというお話です。

なんか、少し悲しい気持ちになってしまうのは私が昭和の人間だからでしょうか。

人件費で中国に負けるというのは、時代の変化を痛切に感じてしまいます。

しかし、このニュースをもう少し細かく見てみると、どうやら中国進出の背景にあるのは人件費の問題だけではないようです。

私が今日のブログで書きたいのはその点です。

中国企業が賃金水準以上に重視しているのが、日本の「人材の力」のようです。

良い面と悪い面があるにせよ、中国企業が着目している点に「日本人が言われたことを真面目にこなす」ということがあります。

リンクの記事には記載がありませんが、当日のビデオには「日本人の真面目な検品による”返品コスト”の低減」などにも言及がありました。

真面目にコツコツ働くということが「市場価値」として一定のニーズを満たしているのです。

かつての日本にあった強み

この話を聞いた時に私はある既視感を感じました。

「似たような話を以前に聞いたことがあるな」と。

それは今とは全く異なる環境においてのお話ですが、指摘された日本人の本質は同じだと思います。

ネットで探したのですがそれらしい逸話が見つからなかったので、以下は完全に私のうろ覚えの記憶の中から書きます。(本当にそんな話があったのか!とかいうツッコミはなしでお願いします。。。)

かつて日本が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われていた時代のお話です。

日本の工業技術がなぜ強いのかを知るためにアメリカの企業が日本に視察に来ました。

そこで視察団は驚きの光景を目にして、「こんな国に勝てるわけないだろ」と帰国しましたとさ。こんなお話です。

ではこの視察団は日本の工場で何を見たのでしょうか。

それは、工場のお昼休みにパート勤務のオバちゃん達がお昼ごはんを食べながら「こうやった方が品質がよくなる」とか「この配置の方が効率的に動ける」とかを自分達で勝手に議論している光景でした。

幹部でもマネージャーでもない、「時間給のライン要員」が「休み時間」に「勝手に」「業務の効率化や品質向上」を議論しているのです。

「自然とこんな事が起きる国民性の国に品質で勝てるわけないだろ!」

と視察団は憤るわけです。

この話を聞いて私が思うのは、「まあ、オバちゃん達の気持ちは分かるわな。」という極めて日本人的な感覚でした。

確かにその議論に賃金は発生しないけれど、自分の所属する企業の製品が良くなった方が良いし、業務が効率化してみんなが働きやすくなった方がいいのは当たり前だし、それについてみんなで話し合うことは極めて「フツーのこと」な気がします。

それが異様に見える欧米的な考え方は、もちろん理解はできるのですが、「そういう考え(休憩時間に現場職員が仕事の話なんかしない)もあるんだなぁ」と別の考えを知識としてそっと心にしまった記憶があります。

それはどこで養われたのか

長々と前置きを書きました。

学習塾のブログのくせに、「真面目な日本人気質に経済的価値がある(らしい)」ことや「真面目な日本人気質は今に始まったものではない」ことを書きました。

本当に書きたいのは、「その”日本人気質”はいつどこで養われたのか」です。

難しい問ではないですよね。

それは、義務教育期間またはそれ以前の時期に養われます。

それは、家庭・地域・学校という空間で養われます。その空間の一端に塾を加えて頂ければ幸いです。

・みんなのことを考える

・自分ができることは精一杯やる

・誰も見ていないからといって手を抜かない

そういう価値観は日本人に特有の美徳なのかもしれません。(外国人の友達がいないので分かりませんけど)

確実に言えることは、そういう価値観は今の経済社会で「すら」その意義を認識しています。

学習塾が「成績を売る企業」として経済原理の中に埋もれてしまっていると感じている人がいれば、私は明確に否を唱えたいのです。

だって、そうでなければ今日の授業で生徒を叱ってないですよ。

いい加減な誤魔化しをした子に「ちゃんとやれ」と言いません。

なぜそう言うとかと言えば、

「ちゃんとやる」を理解している大人になって欲しいからです。

「ちゃんとやる」の内容を具体的に契約書に記載する文化には私はなんの魅力も感じません。

だから生徒全員が「ちゃんとした大人」になってくれるよう微力を尽くしていきたいと思っています。

最後まで読んで頂いてありがとうございます。

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