先生と生徒が生み出す、小さな奇跡

2025年3月7日 Vol.1002
つばめ学院は埼玉県和光市にある「生徒を元気にする塾」です。
塾長の関口です。

今日は、私の考える教育について書きます。
明日は講師を集めたミーティングの日なので、そこで講師に伝えようと思う話を今日のブログに書いています。

Vibrant watercolor artwork showing two children hugging tightly, conveying love and friendship.

教育はもっとアーティスティックで良い

一言で言うなら、『教育はもっとアーティスティックであるべきだ』ということです。
アーティスティックというのは、もちろん芸術的という意味ですが、私はこれをインダストリアル(工業的)という言葉の反対語で捉えています。
工業では「誰が、いつ、どこで」作っても同じものができることが大切です。
しかし、教育はそうではないと思うのです。

その理由について、以下の3点でお話できればと思います。

教育とは属人的である

属人的であるということには、2つの側面があります。
「誰が教えるか」によって変わる面と、「誰が教わるか」によって変わる面です。
「何を教えるか」ではなく、「誰が教えるか」が重要です。
そして、「誰が教えるか」よりも更に「誰が教わるか」が重要です。

人が人に教える以上はそこに必ず相互作用があります。
その「人」ですら、時間によって変化しています。
その相互作用のゆらぎは、避けるべきものではなく、積極的に楽しむものだと思います。
そういうダイナミックな部分が教育の重要な面であるはずです。
それは、同じモチーフを見ても画家によって異なる絵画と同じようなものです。

教育とは表現である

人と人の間に起きる経験にはすべて意味があります。
そして、その意味は無限のバリエーションを持っています。

例えば、数学の計算問題でミスを減らす場面を考えてみます。
数学が得意な子にとっては、満点をとるためにミスをゼロにしようとすることを意味します。
数学が苦手な子にとっては、計算こそが得点源です。そこでのミスが減ることは、そのまま「数学が得意になる」ことを意味します。

その子にとっての適切な表現を、その子の物語の中に丁寧に組み込んであげることは、勉強に対するモチベーションを大きく上げてくれます。

教育とは奇跡である

教育は属人的な相互作用の賜物であり、また生徒に応じた多様な表現です。
それは「アーティスティック」という言葉にふさわしいものだと私は思います。
しかし、作品ではありません。
形にして残すものではなく、発生したその場で体験され、消えていくものです。
その意味で、私は奇跡という言葉を使います。

教師と生徒の間には、毎日小さな奇跡が起きています。
そんな考えをもって教室を見てみると、少し違った景色が見えてくるのではないでしょうか。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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