「教える」とは何か?職人に学ぶ教育の本質

2025年1月17日 Vol.999

つばめ学院は埼玉県和光市にある「生徒を元気にする塾」です。
塾長の関口です。

ブログの更新がしばらく滞っておりました。
このブログも記念すべき大台の1000号まで、あと1回となりましたので、なんとか今日からしっかり再開していきたいと思います。

今日は「勉強を教える」ということの本質についてお伝えしたいと思います。
私が日々、教室の授業で大切にしている考えです。
ご家庭の教育にも活用できるお話なので、ぜひ最後までお読みください。

職人はなぜ弟子に「教えない」のか

料理職人や工芸職人の師弟関係をイメージしてください。
歌舞伎や落語といった伝統芸能も例に挙げられるでしょう。

こうした師弟関係では、師匠が弟子に一つ一つの技能を直接教えることはありません。
「技は盗むものだ」
という言葉を耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。

最近では「寿司の握り方」を直接教えてくれる専門学校もあるようですが、私はそれを良いことだとは思いません。

何も教えてくれない師匠と、その師匠の背中から技を盗もうとする弟子。
この関係は、ともすれば「古臭い」と思われるかもしれませんが、それでも長い歴史の中で続いてきたことには合理的な理由があるはずです。

その理由を私なりに端的にまとめるならば、
「修行とは知識の伝達ではない」からです。
職人の修行に限らず、教育においても本来なされるべきことは、「知識の伝達」だけではないと私は考えています。

コピーは劣化する

知識の伝達というのはコピーのようなものです。
師匠が持っている「知識」を弟子に正確に伝達しようとすると何が起こるのでしょうか。
そこでは、何代も繰り返すうちに劣化が生じてしまいます。
コピーは繰り返すたびに劣化するからです。

人から人へ情報を伝える場合、100%の効率で伝達できない限り、必ず劣化が起きます。
仮に(実際には不可能ですが)100%の効率で伝達できたとしても、そこにあるのは「維持」でしかありません。
「発展」には繋がらないのです。

師匠の劣化コピーではなく、弟子が自ら技術を発展させられるように育てるためには、何かの仕組みが必要です。
それが「知識の伝達」ではないことは明らかです。

師匠を取り込む

劣化コピーを乗り越える方法の一つが、「師匠を自分の中に取り込む」ということではないでしょうか。
これはご経験のある方も多いと思います。

「この場面で、◯◯さんだったらどうするだろうか」という思考です。
師弟関係においては、「師匠だったらどうするか」の精度を徹底的に上げることで、受け継がれる技術の内容が変わるはずです。

最も有名な伝統芸能の一つである歌舞伎であっても、「ワンピース歌舞伎」などという新たな作品が誕生しています。
師匠の技をただコピーするだけでは、このような型破りは生まれません。
きっと「師匠を取り込んだ」今の世代が、内なる師匠に問うた結果ではないでしょうか。

教育も同じだと私は思っています。
知識の伝達だけならば、YouTubeで十分です。
しかし、それだけでは不十分です。

生徒たちは、我々世代のコピーではありません。
その子にしかできないことを、我々を「踏み台」にして成し遂げてほしいのです。

そのため、教室では私だけでなく、大学生の講師や、時には周りの友達も自分の中に取り込んでほしいのです。

「◯◯さんだったらどう考えるだろうか」
この◯◯に何人もの名前を入れることができる人になってほしい。
私はそう考えています。

ご家庭では、お父様やお母様のいろいろな背中をお子さんに見せることができます。
最も精度よく取り込むことができる大人は「親」ではないでしょうか。

かっこいい姿ばかりでなくても良いと思います。
悩む姿や迷う姿も含めて、お子さんにその背中を見せてあげてほしいです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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