お金と学力の共通点:本質を見極める大切さ

2024年8月16日 Vol.995
つばめ学院は埼玉県和光市にある「生徒を元気にする塾」です。
塾長の関口です。

お金の価値について

先日、「君のお金は誰のため」という本を読みました。
中高生向けだとは思いますが、お金の本質についてとてもわかりやすく書いてある本だと思います。

本の中にある印象的な言葉を2つご紹介します。
「お金そのものに価値はない」
「お金で解決できる問題はない」です。
簡単に意味をお伝えすると、お金自体はただの紙です。それに価値がないことは明らかです。お金の価値とは、あくまで「お金を受け取る人がいる」という前提が必要になります。無人島にお金を持って行く人はいないわけです。
また、「お腹が減った」という問題を解決でるのは「パン」などの食品です。お金を食べてもなんの解決にもならない。問題を解決するのは、「パンを作るひと」だったり「パンを運ぶ人」だったり「パンを売る人」の労働です。

価値があるのは「労働」そのものであり、それを促す仕組みとして「お金」があるということになります。
価値ある労働をした人にはお金が集まることになります。
それを逆に考えてしまうと、「お金を持っている人には価値がる」ように錯覚してしまうという危険があります。

学力はどうか

実は同じことが「学力」にも言えるのです。
国語のテストを例にあげます。

国語のテストというのは、「読解力のある人ならこういう問題に正しく解答できるだろう」という前提で問題をつくります。
「読解力があるから点数がとれる」ということです。
しかし、この解釈が逆転してしまうことがあります。
「点数がとれらから読解力がある」という勘違いです。

「国語の点数を上げる」ことだけを目的にすると、必ず「課題文を読まずに解答しようとする子」がでてきます。
彼らの言い分を聞くと、「文章を読まなくても、傍線部だけ読めば正解できる」という意見が多いです。
「親から点数が取れれば読まなくてもよいと言われた」なんてケースもありました。
これを続けると、ある程度の「点数」は上がるかもしれませんが、「読解力」はつきません。「読解」してないですから。
小学校から高校までの12年間で、「読解力」を育てずに傍線部だけを読んで点数を上げる技術を高めるというのは、時間と労力の無駄でしかないですよね。

「読解力を上げた上で、点数を上げる」
これを目指さない「勉強」は全て時間と労力の無駄使いです。もちろん、他の教科にも同様の事が言えます。

「勉強」は使わない

そう考えると「勉強」そのものにも同じことが言えそうです。
勉強して偏差値を上げ、有名な大学に進学する。その事自体は素晴らしいことです。

誤解を恐れずに言えば、「数学ができる」「英語ができる」という能力だけには価値はないです。お金の例と同じです。

その能力を「どう使うか」からが、価値が発揮される場面のはずなんです。
当然ながら、勉強に頼らずとも価値を発揮できる人ならば勉強なんて不要かもしれません。
とはいえ、社会の多くの場面では、勉強で身に付けた知識やその過程で養われた能力が有効であることも事実です。

生徒たちには勉強を頑張ってほしいのですが、そこで終わってほしくないのです。
世に通用する能力を身に付け、「さてこの力をどう発揮しようか」と意気揚々と社会に出ていってくれることを期待しています。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。

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