親として子どもに伝えたいこと:苦労の価値について
2024年4月16日 Vol.986
つばめ学院は埼玉県和光市にある「生徒を元気にする塾」です。
塾長の関口です。
ひとりの親として思うこと
今日のブログは私が「親として」思うことから書き始めます。
私事で恐縮ですが、我が家には高校生の息子がひとりおります。その息子について、先日の授業で生徒たちにお話をしました。
「今日はね。俺が”お父さん”として思う話をしようと思うんだよね。俺には高校生の息子がいるんだけどさ、その息子にはね。できるだけ苦労しておいてほしいなぁって思ってるの。」
若いときの苦労は買ってでもせよ
学生のうちに経験する苦労は、社会に出てからのそれほど大きくはありません。(例外はありますが)
そして、何と言っても学生のうちの苦労なら、親の私がいくらかは力になることができます。
しかし社会に出てからの苦労は、なかなか親が助けてやれません。
社会に出る前に、少しずつでも「苦労」をしておいて、「苦労」に対する耐性のようなものをつけておいてほしいと思うのです。
願わくば、、、
授業では教室の大型モニターにwikipediaを表示させて、山中鹿之介の紹介もしました。
「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」
そう、天に願ったという戦国時代の武将です。
「信じられるか?多くの人は苦労したくないと思うよね?でも、この人は逆なんだよ。”苦労するようなことをくれ!”って願うんだよ。みんなにはさ、なんでこの人がそんな願いを言ったのかを考えてほしいんだよね。」
苦労した先に得られるのものが必ずあります。
そしてまた、苦労のない人生というものはあり得ません。
そうであれば、やはり私は我が子に苦労をしておいてほしいと思うのです。
なぜなら、私が得てきた多くの価値は、「苦労」の先に手にしたものばかりだからです。
苦労を奪わない
最後に少しだけ耳の痛い話を書きます。
これまでの人生で「苦労してこなかった」という大人はいないはずです。
大人はいろいろな苦労を経て多くの価値や経験を手にしているはずです。
そうであれば、お子さんもまた同じです。
苦労を経てなにかを得るはずです。
その苦労を大人が奪ってしまっていると、それはお子さんの成長機会を失っていることになります。
お子さんを手助けするときに少しだけこれを思い出してみてください。
「それは、お子さんのために必要だからするのですか?それとも自分がやりたいからするのですか?」
最後まで読んで頂いてありがとうございます。