「なぜ勉強するのか」はなぜ伝わらないのか?
2022年11月3日 Vol.954
つばめ学院は埼玉県和光市にある「生徒を元気にする塾」です。
塾長の関口です。
つばめ学院は「保護者面談期間」の真っ只中です。
今日はそんな中で保護者の方からお話頂いた事からブログを書いてみようと思います。
「よくわかる」お悩み
頂いたお話は以下のようなものです。
「うちの子はすぐに”なんで勉強なんてしないといけないんだ”と言うのです。その度に、勉強を通じて社会に貢献できる力をつけていくものだし、大人になればそれが経済的な生産能力にもなって豊かな生活を築いていけるんだ。と伝えても全く伝わらないんです。」
いかがでしょうか。
伝え方の差こそあれ、多くのご家庭で共感して頂けるものではないかと思うのです。
「勉強する意義」をいくら伝えても伝わらない。そんな経験は多くのご家庭で起きている事なのではないでしょうか。
特に今回のお話を頂いた保護者の方は非常に聡明なお考えをお持ちで、かつ辛抱強くお子様と対話されているように私は感じました。
しかし、それでも伝わらない。。。。
それは一体なんなんだろう。
今日はそんなお話を書こうと思います。
そもそも伝わらない?
私は職業柄「なぜ勉強するのか」を生徒にお話する機会が多くあります。
もちろん、相手やその場の雰囲気を考えていくつかのパターンを用意してもいます。
(金を稼ぐ手段、幸せを感じるため、世界を広げるため、人の本能etc..)
しかし、どの話をしても「そこそこ盛り上げる」ことはあっても、本当の意味で生徒を「納得させる」に至った経験はありません。
もちろん、私の力量不足があることは否めませんが、それだけではないように思うのです。
私は「学ぶ意味」は事後的にしか理解できないものだと考えています。
禅問答のようですが、
「学ぶ意味」は「学ぶ」ことの中でしか感じることができないもではないでしょうか。
学んだ者だけが「学びの意味」を感じることができ、それを「学んでいない者」に言葉で伝えることはできない。それが「学びの意味」なんだと思います。
私が良く使う例え話は、
「コーラを飲んだことのない人にコーラの味を説明しなさい」というものです。
どれほどの言葉を紡いでも、コーラの味を過不足なく伝えることはできません。
結局のところは、「まあ、飲んでみなよ。美味しいから。」にしかなりません。
同じことが学びにも言えます。
いくら言葉と時間を使っても「学びの意味」を伝えることはできません。
言えることは「しっかり学びなさい」です。
古の先人たちがそういう営みを脈々とつないできたことが今に至るのではないでしょうか。
だからこそ言う
だからこそ言い切って頂きたいのです。
「しっかり学びなさい」と。
多くの子が言う「なんで勉強なんてしないといけないんだ」の本当の意味は、「面倒な勉強はしたくない」という想いです。
我々大人は、その想いに十分に共感したうえで言い切ることが大切なのだと思います。
「しっかり学びなさい」
その言葉には、先人たちの言葉にならない想いが宿るはずです。
そして、その先人たちの先頭にはお父様やお母様がいます。
お子さんには理解できない「意味」を乗せて伝える「学びなさい」には必ず質量が伴います。
そういう「言葉」は決して軽くはないはずです。
最後まで読んで頂いてありがとうございます。