無知の知
2022年5月17日 Vol.932
つばめ学院は埼玉県和光市にある「生徒を元気にする塾」です。
塾長の関口です。
先日、授業でお話をした「無知の知」についてお伝えできればと思います。
中学生達にお話した内容ですので、気楽に読んでいただけるはずです。
教室では「無知の知」と言ったとたんに、「むちむち?」やら「ムチ?ぴしっ!てやつ」などとぼけた発言が飛び出しました。
哲学の父に学ぶ
「無知の知」は言わずとしれた、哲学の父ソクラテスが言った概念と言われています。
簡単にその概念を復習しておくと、
「知識がないことに気づいている自分(ソクラテス)は、その事に気づいていない者よりは、その点において知識がある。」と説明されます。
「美とはなにか」「善とはなにか」といった問に対して、自分は明確な答えを持ち得なくても、知ったような顔で答えにもならない事を言う者より、自覚がある点において賢い。というものです。
自分達に応用する
「じゃあさ、この”無知の知”を自分達に使えないかな?”無知の罠”にかかっている人がいないかどうか。今日はその話をしたいんだよね。」
ギリシャ哲学が自分たちに向けられるとは思っていなかったようで、生徒たちには驚きの表情がありました。
その後にお話した内容は以下のようなものです。
よく私は
「元気よくあいさつをして、はっきり返事をしなさい」
「丁寧な字で、誰が見ても読める字を書きなさい」
「勉強する時は姿勢良く座りなさい」
というような事を言います。理由は「そうすると勉強ができるようになるから」です。
しかし、良く反論を受けます。
「あいさつと勉強は関係ない」「どんな字で書いたかではなく、書いた内容だ」「どんな姿勢だろうと自分が集中できれば問題ない」
そんな反論です。
大切なことは、そういう反論をする子が「なぜそう思うのか」です。
「なんでそう思うの?」と聞くと、多くの子は「なんとなく」「だってそうだから」というような答えしか言えません。
もちろん気持ちは分かります。私だって学生時代はそう思っていましたから。
しかし、実際は違うんです。
私が見てきた事実として、基本動作と学力には相関があります。
そして、同業の塾の先生の意見を持ち出すこともなく、多くの保護者の方も納得してくれるはずです。
それが知性だ
「そんなわけない」と瞬間的に反応することはあります。
しかし、生徒達にはその一歩先に進んでほしいのです。
「先生が言うには何か根拠があるのではないか」
「自分には理解できない”何か”があるのではないか」
「いや、自分は自分にが理解できない”何か”を得るために来ているんだ」
いつかそう感じることのできる大人になるためのきっかけができればと思います。
そして、その自分の無知に対する謙虚な姿勢こそを私は知性と呼びたいのです。
最後まで読んで頂いてありがとうございます。