成績をあげる前提
2022年3月21日 Vol.925
つばめ学院は埼玉県和光市にある「生徒を元気にする塾」です。
塾長の関口です。
先日、MBA中土井鉄信氏による「教育論壇」という講座を受講しました。その中で私の経験と理論がガッチリと噛み合う事があったので、今日のブログでお伝えしたいと思います。
先日の「わこゼミ」と、塾内の講師ミーティングでもお話をして「思い当たる事がありすぎて泣きそうです」と言われた内容です。
経験としては知っていたこと
「点数、点数」と言っていると点数があがりませんよ。
「偏差値、偏差値」と言っていると偏差値があがりませんよ。
そういうお話は以前からしていたのですが、「なぜそうなのか」という事がなかなか私も説明できていませんでした。
やはり「経験として」だけでは説得力が弱いですよね。そこに理論的な論拠があればより多くの人に納得してもらえるはずです。
生徒を「努力する子」にする
塾は生徒を「努力する子」にしようと中土井氏は述べます。
ここがポイントなのですが、「努力=自己否定」です。
自分の至らない点を否定し、更に大きな自分を生み出す行為が「努力」です。
自己否定をするために必要なのは、圧倒的な「自己肯定感」です。
私は「自己肯定感」を「根拠なき自信」と説明することが多いです。「私は親に愛されている」「私はこの家にいて良い」と根拠なく思えることが自己肯定感です。
「あれと、これができるから私は愛されている」ではダメなんです。何の根拠もなく「私は愛さている、ここにいていい、いる価値がある」とお子さんが心から実感できる時にこそ自己肯定感は満たされます。
「やってはいるけど、伸びない子」
少し具体的なお話をします。
「なんか、やってるようなんですけど、点数がとれなくて」と言われることがあります。全てとは言いませんが、その背景に親の「点数をとらないと」「偏差値を上げないと」という焦りが見える時もあります。
そして、これは断言できるのですが「その焦燥感は確実に」お子さんに伝わっています。
ここで心理学の力を借ります。
「アドラー心理学」の考え方を参考にしようと思います。
アドラー心理学は「目的の心理学」とも言われ、フロイトの「原因の心理学」と対比されます。
なにかの「行為」に対して、「その行動の目的は何か」と考えるアドラー心理学のアプローチと、「その原因は何か」と考えるフロイト心理学のアプローチです。
では、この「やっているようだが、伸びない子」の目的は何でしょうか。何を手に入れるために、その子は「そのような行為」をしているのでしょうか。
これは「無意識下」のことですので、本人に聞いても答えは出ません。おそらく「なんとなく」という程度の答えしかないと思います。
この答えはシンプルです。その子が「その行為によって何を得ているのか」を考えれば見えてくるはずです。
そして、「その子が得ているもの」は「やっているけれど伸びない自分」に他なりません。
なぜそんなものが必要なのでしょうか。
うっかり向き合ってしまう
暗記の話をします。
私は良く生徒に「暗記をしたければ小テストをしなさい」と言っています。
仮に30個の英単語を覚えるとします。英単語を3回ずつくらい書いたらすぐにテスト。書けないものだけを3回ずつ書く。そしてテスト。を繰り返す方法が有効です。
決して難しいことではないのですが、なかなかこの方法を受け入れられない子がいることも事実です。本人達に聞いてみると「なんとなく」や「めんどくさいから」という言葉が返ってきます。
本当に「めんどくさい」でしょうか。
3回ずつ書くほうがよっぽど作業は多いですよ。それでもその子達は「めんどくさい」と言って、かたくなにテストを拒否し、何度も単語を書き続けたりします。
この暗記の話が、先程の心理学とつながってくるはずです。
その子達は恐れています。「30個覚えると言ったのに、実は2個しか覚えていない自分」と、うっかり向き合ってしまうことを。
頑張っている自分を大切にする一方で、できない自分との接触を徹底して避けるのです。
自己肯定感が必要なんです
高3生の話をします。
大学受験を目指して頑張る高3生の中には、驚くほど成績を伸ばす子が良くでます。
こういう子達に共通している事があります。
それは、貪欲に「自分のできないところ」を探る姿です。
「できないものは他にないのか」
そう目をギラギラさせながら、「自分」の中をゴリゴリと分け入るようなイメージです。
当然ながら、そこには大きな傷みを伴います。それでも、自分の中の一番痛いところにゴリゴリと手をいれるのが「飛躍する高3生」のイメージです。
この痛みを受け入れるのに必要なことが、「自己肯定感」です。「根拠なき自信」です。
「30個の英単語を覚えたつもりが、2個しか書けなかった」とします。その時に「2個しか書けない自分はなんてバカなんだ」「こんな自分はいる価値がない」「こんな自分では親を喜ばせることができない」と思ってしまったらどうでしょうか。
たかが英単語です。
その英単語ごときで、自分の存在が揺らいでしまうような子は、そのリスクを全力で避けます。(もちろん、無意識的に)
「イケてない自分」と向き合うためには、絶対に揺らぐことのない「自分の存在」が必要なんです。
「自分の存在」は世界に孤立して存在するものではありません。
世界から承認され、受け入れられ、その事が「当然の前提」になっていなければなりません。
お子さんは「イケてない自分」と向き合う勇気を持っていますか?
その勇気を親は全力で後押ししていますか?
最後まで読んで頂いてありがとうございます。
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