ズルして幸せになれるのか
2022年3月6日 Vol.924
つばめ学院の関口です。
今日は皆さんもよくご存知のこのニュースをもとに「幸せ」について書いてみようと思います。
この事件を起こした子の考えは非常に未熟で愚かだと思います。こうした考えを起こす子を減らすために「そういう事をしても幸せになれないよ」という事を大人がしっかり伝えることが大切ではないでしょうか。
バレなければ良いのか?
入試で不正をするわけですから、当然ながら「バレない」ようにする努力はしているはずです。
「そんな事をしても後でバレるよ」とか
「本番の試験でバレないようにするのは無理だ」など。
そういったご意見もあろうかと思いますが、不正をする人たちにとっては「バレない」ことは前提なので、「うまくやるから大丈夫」と言われてしまいそうです。
不正をさせないためには、「首尾よく不正がバレなければ幸せになれる」という大本命の考え方の間違いを理解してもらわないといけないはずです。
今日のブログで私が伝えたいのは「不正は成功しても幸せになれないよ」というお話です。
自分は見てる
もし不正行為をして大学に合格したとします。その結果として素敵な大学生活を送れたとします。さらに就職も一流大学のブランドのおかげで大成功。人も羨む企業に就職して立派な収入も得ることができた。
ポイントは「それで幸せになれるか」です。
不正で入った大学に入学し、その不正で入った大学名のおかげで就職し、不正のおかげで良い収入を得ている。その事実は変えることができません。
他人の誰にもバレなくても。
自分にはバレています。
自分の記憶にはそれが確実に残るんです。
「それすらラッキーと思えればいい」と思うかもしれません。しかし、それは無理です。
私達の理性はそんなに邪悪にはなれません。それを「ラッキー」と言って笑うためには、それこそ邪悪さに対する天賦の才能が必要です。
「幸せになる」という事が目的であるならば、たかだか20年弱しか生きていない段階で、それほどに「不利な条件」を抱え込むことが、どうしても私には「お得」だと思えないんです。
楽しく幸せになれる可能性がゼロとは言わないけれど、かなり勝ち目のない勝負に突っ込んでいくように見えてしまうのです。
振り切れば良い
「幸せになる」を目標にするのであれば、逆に振り切ってしまう方が良い気もするんです。
教育者として適切な発言ではないかもしれないですけど。
不正の腕を磨いて、「絶対にバレない不正」をプロデュースしてSNSのアンダーグラウンドで依頼を受けて合格させるような事をしてみる。と。
お金にもなりそうだし、感謝もされそうです。ま、不正発覚時に大きなリスクはありますが。
まあ、これはこれで理論的には成立しています。
そこで一周回って帰ってくるわけです。
「そんなに努力するなら、勉強すれば良くね?」
勉強して合格すれば、重たい「負」を背負う必要もないし、自分の技量を活かすうえでのリスクもありません。
普通に頑張って、普通に人に喜んでもらい、普通に幸せになります。
そういう、「普通に幸せになる方法」を正しく理解して行動できるようになることが何より大切ではないでしょうか。
最後まで読んで頂いてありがとうございます。